平成29年度研修バスツアーが開催されました。

平成29年9月26日(火)「小江戸佐原の街並み散策とパワースポットを巡る旅」をテーマに鹿島神宮、佐原の街並み、酒づくり見学、伊能忠敬記念館、香取神宮を巡るツアーが開催されました。

広報交流委員は午前6時過ぎに行田市バスターミナルに集合し、参加者のチェック、集金、資料配布などに対応していました。

午前7:00から本日の研修スケジュールの説明があった後、参加者75名を乗せた2台の大堰観光バスは、行田市バスターミナルを出発。最初に1号車 関川会長、2号車 今村理事のご挨拶があり、途中、道の駅「五霞」、佐原PAでトイレ休憩を取って一路鹿島神宮に向かいました。

*写真の上でクリックすると拡大します。

鹿島神宮

日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社で関東最古の神社です。創建は初代神武天皇が即位した紀元前660年。日本の歴史とともに現在に至る、古社中の古社です。鹿島神宮は、仕事・人生に総合的な開運力のある、関東最強クラスのパワースポットです。

鹿島神宮大鳥居

東日本大震災によって倒壊してしまった鹿島神宮の大鳥居。鹿島神宮境内の森から伐採した、樹齢500年から600年の杉の巨木を4本使用しました。鳥居の上にかかる大きな丸太は、正面左手が太く、右手は約10%ほど細い「鹿島鳥居型」。自然のままに育った杉なので、木目の密度が高く美しいのが特徴。総重量は10t以上。目に見える高さは10m強ですが、実は地中3mまで埋め込み、2m厚みのあるコンクリートで基礎を固めてあります。朱に染めないのが鹿島の大鳥居。無垢の色の美しさが一層際立ちます。

鹿島神宮に到着後、すぐに大鳥居の前で記念写真の撮影が行われました。

(1号車の皆様)

(2号車の皆様)

ボランティアガイドの案内に聞き入る1号車のツアー参加者

ボランティアガイドの案内に聞き入る2号車のツアー参加者

楼門

鹿島神宮の社殿は元和5年(1619)徳川秀忠の造営になる(重文)。楼門は社殿の入口に建ち、寛永11年(1634)に造られたものです。

手水舎

手水舎は参拝者が身を浄めるために手水を使う施設ですが、ツアー参加者も手水舎の使い方に従って身を清めておりました。

手水舎の使い方

  1. 柄杓を右手に持ち、まずは左手に水をかけて清めます。
  2. 柄杓を左手に持ち替え、右手に水をかけて清めます。
  3. 柄杓を再び右手に持ち替え再び左手に水をかけます。このとき手の平で水を少し取ります。その水で口をすすぎます。

   手水舎の水を飲むのは絶対にNGだそうです。

鹿島神宮 本殿 

本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。御祭神の武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)をお祀りしています。拝殿は手前に見える建物。

拝殿に参拝している方

さざれ石

鹿島神宮の境内を歩いていると、鹿園のそばに「さざれ石」と書かれた案内板がありました。 君が代の歌詞に登場するさざれ石です。さざれ石は、石灰石が長い年月の間に風雨で溶解し、粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結し次第に大きくなり、ついには巌となり、河川の浸食により地表に露出し、苔むしたもの、と石碑に書かれていました。

奥宮

奥参道をさらに行くと奥宮がありました。現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。 

ガイドさんの案内で奥宮の社の裏側にある本殿の下まで根の張った老齢の御神木・杉の老木を見学。この樹木に寄り添い願いごとを行なうと力を授かるらしい。さっそくツアー参加者も、御神木に抱きついていました。

さらに奥に行くと鹿島神宮の大神が降臨した御座とも、地震を起こす大鯰の頭をおさえている鎮石ともいわれている要石(かなめいし)がありますが、時間の関係で行けませんでした。

ボランティアガイドの皆さんにお世話になりました。ありがとうございました。

富士屋ホテル開花亭での昼食の光景(1)

鍋の火が弱くて肉が煮えなったところもあり、固形燃料を追加してもらっているところもありました。でも、和食のお弁当はおいしかったです。

富士屋ホテル開花亭での昼食の光景(2)

食後には、バスの移動中に出題されたクイズの答え合わせを関係者で行いました。

クイズの答え合わせの光景

クイズ  クイズ解答

富士屋ホテル開花亭での昼食とクイズの答え合わせ終了後、水郷の町 伊能忠敬と深い関係ある佐原に移動。

佐原の町並み散策

水運を利用して「江戸優り(えどまさり)」といわれるほど栄えていた佐原ですが、人々は、江戸の文化を取り入れ、更にそれを独自の文化に高めていました。その面影を残す町並みが小野川沿岸や香取街道に今でも残っています。

平成8年12月、関東で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に選定されました。昔からの家業を引き継いで今も営業を続けている商家が多く、「生きている町並み」として評価されています。

中心となる忠敬橋(ちゅうけいばし)付近は整備され、とても心地いい町歩きができます。小野川沿岸に植えられている柳の緑も綺麗でした。平日だったこともあるのでしょうか、観光客も少なくゆっくりと散策できました。

伊能忠敬

千葉県九十九里町に生まれ、1762年、17歳の時に佐原(さわら)の酒造家伊能家の婿養子となる。忠敬が伊能家に来た時、家業は衰え危機的な状況だった。忠敬は倹約を徹底すると共に、本業の酒造業以外にも、薪問屋を江戸に設けたり、米穀取り引きの仲買をして、約10年間で経営を完全に立て直す(29歳の時の伊能家の年間収益は351両=約3500万円)。49歳で隠居(49歳で隠居したときは家産三万両だったという)し、50歳のときまさに五十の手習いの諺を地で行くかの如く江戸に出て、天文・暦学を学び始めた。その修業中きっかけをつかんで地図作りを始め、シニア世代の17年をかけて日本全土を実地測量し、初めての実測による日本全図の作成という壮挙を成し遂げた。その完成度はとても素晴らしく、現在のものとほとんど変わらない。

伊能忠敬記念館は希望者のみ団体料金450円を支払って入館しました。伊能忠敬記念館では、忠敬の人生を年代順に追い、その業績の結晶である伊能図を紹介しています。

伊能忠敬記念館に入館するツアー参加者

伊能忠敬旧宅

旧宅は、市街の中心部を南北に流れる小野川沿いにある桟瓦葺(さんがわらぶき)平家建の建物で、小野川に面した店舗とその奥の主屋、さらに主屋の東側に建つ土蔵とその敷地が指定されています。

樋橋(とよはし)(じゃあじゃあ橋)

伊能忠敬旧宅前にある小野川にかかる橋で、江戸時代の前期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋でした。300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので、「じゃあじゃあ橋」の通称で親しまれていました。今の橋は観光用につくられたもので、30分ごとに落水させているそうです。

じゃあじゃあ橋の上を散策するツアー参加者

佐原の町並みを散策するツアー参加者ー1

佐原の町並みを散策するツアー参加者ー2

佐原は利根川水運の中継基地として栄えた場所で、現在でも小野川の川沿いを中心に江戸情緒あふれる古い町並みが残っています。川沿いの柳も佐原の雰囲気にピッタリです。

東薫酒造

ボランティアガイドの提案で町並み見学コースの順番を急遽変更し、最後に東薫酒造を見学。このことで酒蔵見学時間が大幅に遅れたため、東薫酒造の方から苦情を受けてしまいお詫びすることに。

東薫酒造は、酒造としての歴史は古いそうです。大きな鉄製の窯が何台も並んでその中の米の醪(もろみ)を発酵させて日本酒になる。米の何パーセントまで削ったかでお酒のランクが変わるとのこと。見学が終わって甘酒と日本酒の試飲をしたが、大吟醸の叶(かのう)というお酒だけ300円でコップに半分くらい試飲可能。他のお酒は無料だがコップにほんの少しだけ。もっと入れてよ~。

東薫酒造で甘酒と日本酒を試飲しているツアー参加者

お酒の試飲で少し気持ちが良くなったところで香取神宮に移動。

香取神宮

下総国一宮((いちのみや)ある地域の 中で最も社格の高いとされる神社)であり、日本全国に約400社ある香取神社の総本社でもあります。「神宮」と名のつく神社は今ではいくつもありますが、平安時代から伊勢の他に神宮と呼ばれたのは、鹿島神宮と香取神宮だけ。別格の格式を持ちます。香取神宮は鹿島神宮とペアで関東の東を護る、地域全体の守護神です。霞ヶ浦・北浦・利根川の水の流れがパワーの源泉になっており、千葉県最強の霊力を持っています。香取神宮は、仕事・人生に総合的な開運力のある、千葉県最強のパワースポットです。「意を決す場所」とも言われます。

大鳥居

拝殿

全体がシックな色調で鹿島神宮より華麗です。

参拝するツアー参加者

要石(かなめいし)

参道の途中から山道をしばらく上がっていくと、香取神宮の聖地たる奥宮へ向かう途中に、護国神社の少し奥に石柱に守られ隠れるように鎮まっています。香取神宮の要石は、地震を鎮めているとされます。大部分が地中に埋まった霊石で地上に顕れた部分は径が3、40cmほどの楕円形の円味を帯びた凸型をしており、たくさんの一円玉に囲まれていました。「鹿島神宮の要石へお賽銭を投げて、真ん中の凹んだところに入ったら願いが叶う」という噂があるそうですが、香取神宮は凸なのですが上にでも乗せようとしたんでしょうか?

香取神宮の参拝終了によって、本日のすべての旅程が終了。集合場所の行田市バスターミナルに向かいました。途中、バスの中では1号車、2号車それぞれクイズ上位正解者5名の発表と景品が送られました。今回は少し問題が難しかったようです。

また、定期講演会、もの大学園祭、行田市民大学広報たより第4号、歴史系クラブの「忍城史跡碑をめぐる」参加者募集などについて紹介・説明されました。

圏央道を走っている途中、牛久大仏が夕日にシルエットになっていたので車窓から撮影しました。

行田市バスターミナルに到着したのは予定より30分程遅れましたが、無事に到着しました。ツアー参加者の皆様お疲れ様でした。また、バスツアーを計画、運営してくれました広報交流委員の皆様、大変お疲れ様でした。

広報交流委員 田村(記)