歴史系クラブ交流会に22名が参加

歴史系クラブ交流会「忍城史跡碑をめぐる」が11月8日(水)に行われ、同窓生22人が参加しました。

当日は朝から雨模様でしたが、散策の時には雨も上がって、ホッとしました。

午後1時にバスターミナルの観光案内所前に集合だったのですが、行ってみてビックリ。「陸王」のロケの真っ最中で、駐車場は何百人というエキストラであふれていました。車も止められず、観光案内所前にはロープが張られており、やむなく観光案内所横の芝生に集合しました。

1期生の「行田歴史観光研究会」が平成26年に『忍城史跡碑めぐり』というりっぱな本を出版しました。その代表の寺本大二さんの案内で忍城史跡碑をめぐりました。忍藩の江戸詰めだった加藤古風(ひさかぜ)は文政13年(1830年)に初めて忍城に登城しました。その時の日記を『忍の道の記』にまとめました。今回はその日記の道筋をたどり、佐間口から一度北谷に向かい、それから二の丸まで歩こうというものです。

まっすぐ佐間天神社に行こうと思ったのですが、バスターミナルを突っ切れないので裏口から出て、最初に三重櫓跡の碑へ。水城公園の、みずしろの裏側に建っています。

ここで寺本さんから最初の説明を聞きました。みなさん真剣に聞いています。

水城公園を横切って佐間天神社へ。そこから天満口御門跡の碑へ。ここは佐間通りから少し入ったところにあるので、わかりづらい場所です。

次に八軒口御門跡の碑へ。ここには以前川が流れていて、清善寺横の橋の欄干に続いていたそうです。またここから新町の町人街になり、天満口からここまでは松平家が桑名から移封してきたときに新たに造られた武家屋敷街だそうです。

新町から一旦左折して桝形城門跡の碑へ。ここは忍城に登城する大手門の手前で、桝形が作られ、その内側は堀になっていたそうです。その後は森牛乳の牧場になったことが『田舎教師』に出てきます。

桝形を廻りこむと大手御門跡の碑があります。ここからは武家屋敷街である内行田になります。

そこから商工センターに行って小休止。みなさんちょっと疲れ気味かな。

改めて出発。最初は商工センターの横にある鳥居強右衛門居宅跡の碑へ。初代強右衛門は長篠の合戦で大任を果たし、その子孫は松平家の家老を務めました。

忍城内に入り、まずは忍の時鐘楼跡の碑へ。せせらぎの小径を通って、市役所の裏のあたりにあります。

培根堂・洋楽館・国学館跡の碑、勘定所跡の碑を通って成田御門跡の碑へ。ここは三の丸の入口になります。中央小学校の門の前にあります。

二の丸の入口の太鼓御門跡の碑を通って二の丸跡の碑へ。ここは忍中学校の校内になります。職員室で教頭先生にごあいさつして見せていただきました。

忍城の御殿は二の丸にあったので、加藤古風の旅も私たちの散策もこれで終了です。この場でまとめを行って、解散しました。

4期生 伊東洋一 記