平成29年度定期講演会が開催されました
平成29年11月21日(火)行田グリーンアリーナで行田市民大学同窓会主催の定期講演会が開催されました。
講演は埼玉県立文書館・学芸員の佐藤 美弥(さとうよしひろ)氏による「埼玉の自由民権運動と行田」をテーマに行われ、行田市民大学卒業生、在校生、一般市民が聴講しました。
*佐藤 美弥(さとうよしひろ)氏のプロフィール
2016年4月 - 現在 埼玉県立文書館 学芸員
2012年4月 - 2016年3月 埼玉県立歴史と民俗の博物館 学芸員
2010年4月 - 2012年3月 一橋大学社会学研究科 ジュニアフェロー(特任講師)
2005年4月 - 2008年3月 日本学術振興会 特別研究員(DC1)
自由民権運動の全国的な流れの中で、埼玉・行田の自由民権運動がどのように行われたのか、その特徴についてわかりやすくお話しされました。
【行田に関する解説から抜粋】
明治時代、政治に参加する自由と権利を求めた運動が日本全国に広がりました。自由民権運動は、明治維新後の政府の藩閥政治に対して、政治的権利の拡張を求めるもので政府を下野した高知の士族を中心に武力から言論を主張する運動が出発点です。
1878年(明治11年)共同会が結成され、会合に集まった人々に熊谷宿周辺の人々が多数を占め行田からは佐間村 山崎正一郎や堤根村 増田松五郎がいました。その後、共同会では慶應義塾の弁士を招聘し、毎年2回、10月は幸手で、4月は熊谷で演説会が開催されました。また、行田でも1879年(明治12年) 山崎正一郎や増田松五郎が主催して下忍村で演説会が開催されました。
コミュニケーションの革命ー福沢諭吉が会議・演説の方法について研究。これまでは会議を実施しても何事もまとまらない。そこでアメリカの書物を読んで研究し、会議・演説会の具体的な進め方について本を書いています。集会開催の手続きを村で道路建設する際の会議を例に解説していますが、今の時代にも通じる内容でした。
1881年(明治14年)には、行田にも民権結社が結成され、5月 行田町寄席開花亭で会議が開催されました。また、同年6月 地方連合会創立事務所の遊説委員による演説会が行田町寄席開花亭で開催されました。
1881年(明治14年)板垣退助を総理に自由党結成されました。同年9月 羽生町の結社通見社が招いた板垣退助が高崎へ向かうと聞きつけた行田行成社の人々が、板垣を引き留めて、行田に招きました。板垣は先約があると断ったが、行田の人々は強いて板垣を引き留めた。板垣は、高崎への途上、行成社員に対して政党団結の重要性を説きました。
1882年(明治15年)自由党行田地方部が結成され、成田町、行田町、佐間村、前谷村、持田村、樋上村、棚田村、長野村などから入党。同年6月29日清善寺で演説会が開催される。
1887年(明治20年)自由民権運動の復活「大同団結運動」に行田の旧自由党員も参加。1889年(明治22年)北埼玉倶楽部の結成、清善寺などで政談演説会が開催される。
1902年(明治35年)・1903年 行田の岡村新三郎 衆議院議員に当選。
行田では、先行する熊谷での運動や慶應義塾の影響を受けました。士族、豪農どちらも積極的で協力しながら結社を結成し、自由党に連なる勢力として活動しました。
受付
司会(島田 明美 企画研修委員)
行田市民大学同窓会 関川 忠彦 会長の挨拶
講師紹介(伊東 洋一 副会長・企画研修委員長)
講師 佐藤 美弥(よしひろ)氏
講演の光景
行田市民大学同窓会クラブ活動の展示光景
行田CATVの取材光景
閉会挨拶(茂木 幸蔵 副会長・広報交流委員長)
以上 広報交流委員 田村(記)