2024年行田市民大学同窓会研修バスツアーが実施されました。
行田市民大学同窓会研修バスツアー「わたらせ渓谷沿いを行く足尾銅山と美術にまなぶ」が2024年10月3日(木)に37名の参加を得て実施されました。
小雨が午前8時前から降り出し行田市総合公園東側駐車場の集合時間8時40分頃はポツリポツリとなりましたが車中で受付と会費徴収を行い定刻9時前に出発しました。茂木幸蔵広報・交流委員会委員長は「わたらせ渓谷沿いを行く足尾銅山と美術にまなぶ」行程と恒例の研修バスツアー問題10問実施を説明しました。永島宏章同窓会会長は年代を超えて会員相互の交流・懇親を深める機会として欲しいと挨拶しました。行田市民大学卒業生は500人を超えるが行田市民大学同窓会会員数は200余人にとどまると会員減への対応を熟慮すべきとした。今後の行事①10月26日から27日ものつくり大学学園祭碧蓮祭②12月19日行田市民大学クリスマスコンサートへの参加を呼びかけました。 *写真の上でクリックすると拡大します。
大間々・ながめ公園(10:25~10:35) 休憩の残り時間で、公園に隣接する郷社神明宮にて旅の安全を祈る。
旧花輪小学校記念館(11:00~11:50)木造校舎の再活用例を見る。
国道122号線の花輪で鋭角30度と思われる交差点を右折して田んぼの畔に咲く盛りの赤い彼岸花を見て到着。校舎の玄関前で階段に整列して記念の集合写真を撮る。花輪小学校は明治6年に開校、現木造の校舎は現JFE(旧日本鋼管)の創業者の今泉嘉一郎の寄付金により昭和6年に完成。石原和三郎は明治6年開校時に9歳で入学、26歳で花輪小学校の校長に就任。後年、「うさぎとかめ」「はなさかじじい」「金太郎」など童謡作詞に功績を残しました。
昼食・草木ドライブイン(12:00~12:50)
バスを下車する前に、研修バスツアー問題回答用紙を提出して昼食会場に向かった。
足尾銅山観光(鋳銭座)(13:10~14:15)
足尾銅山は慶長15年(1610年)鉱床が発見され江戸幕府直轄の鉱山として採掘され、幕府は鋳銭座を設け大いに栄えた。生産された精銅は江戸城、日光東照宮、上野の寛永寺、芝の増上寺などの銅瓦に使用され通貨である寛永通宝の鋳造にも用いられた。江戸時代ピーク時に年間1,200トンの銅を産出していたが明治維新後の明治4年(1871年)民営化されたが年間150トンに減少。明治10年(1877年)古河市兵衛が経営に着手、その後炭鉱技術の進歩によって有望鉱脈が発見され明治政府の富国強兵政策を背景に20世紀初頭には日本の銅産出量の40%を生産。鉱山開発と製錬事業の発展の裏では大気汚染と水質・土壌汚染をもたらし足尾鉱毒事件と呼ばれる環境汚染(公害)を引き起こした。昭和48年(1973年)採鉱を停止して閉山した。掘り進められた坑道は総延長1,234キロメートル。
富弘美術館(14:40~15:40)
頸髄損傷で手足の自由を失い、入院中の2年目に口に筆をくわえて文章と絵を書き始めた。「絵」と「言葉」をひとつにした詞画。その前に立つと心が暖かくなったり、共感したり、くすーとほほ笑んだり。
帰路の車中で、茂木委員長は研修バスツアー問題の解答編を詳細に解説して全10問の正解者7名を紹介しました。
大間々・ながめ公園(16:20~16:35) コスモス越えの神明宮と公園前の道路を少し歩いた橋から見下ろした渡良瀬川です。
行田に向かう車中で、永島会長は土壌改良剤を長年にわたり施肥した畑で収穫された梨の話を披露し、用意した梨を特別賞にじゃんけん勝負を提案しました。会長と参加者全員とのじゃんけんゲームは2個の特別賞の争奪で勝者がなかなか決まらず車内が大いに盛り上がりました。
太田市で降り始めた大粒の雨は利根川を渡ると小雨となり予定とおり18時10分に行田市総合体育館東側駐車場に無事に帰着しました。今日1日、細い道も、困難と思える旧曲がりの道も、なんのそのと安全運転をいただいた(株)大堰観光バスの小林宏昭運転手さんありがとうございました。
参加者は旧花輪小学校記念館リニューアルオープン1周年記念でいただいた木造校舎の長い廊下と教室が印刷されたクリアファイル、旧花輪小学校記念館・富弘美術館コラボ企画スタンプラリーで2館のスタンプ押印でいただいたオリジナル缶バッチ、そして研修バスツアー参加お土産品の富弘美術館クリアファイル(小さな実)を手にして家路を辿りました。
皆さまお疲れ様でした。各見学先では傘も不要でした。良い夢を見て疲れを癒してください。