同窓生の集いで「ノーベル平和賞受賞記念講演会」開催される。
行田市民大学同窓会 同窓生の集い「日本被団協ノーベル平和賞受賞記念講演会」が2025年3月27日(木)に忍・行田公民館ホールにて開催されました。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局次長として2024年12月10日ノルウェー・オスロでノーベル平和賞の授賞式に臨んだ濱中紀子さん(行田市民大学1期生)を講師に迎えて開催されました。
*日本原水爆被害者団体協議会 広島、長崎への原爆投下から11年後の1956年に被爆者が結成した団体。核兵器廃絶の実現や被爆者の法的な援護拡大を訴えて国内外で被爆体験の証言や署名活動などを行ってきた。近年は被爆者の子、孫たちも参加して活動を続けている。
*濱中紀子さんプロフィール 1945年8月、1歳の頃長崎県内の父親の実家で寝ていた際に被爆。当時の記憶は全くない。戦後すぐに父親は死去し4人の子供を一人で育てた母親は被爆の事について一切語らなかったため「自分は被爆者」との意識を持たずに過ごしていた。就職時にはいわれない差別を受けて苦労があった。1970年頃のある日、男性が自宅のポストに入れたチラシに「被爆者」の文字を見て「私も長崎の被爆者です」心を突き動かされた。男性は広島で被爆し戦後に医師として6,000人以上の被爆者を診察した肥田舜太郎さん(行田市共立診療所初代所長、2017年100歳で死去)だった。生き残った者の務めとして活動休止中だった埼玉県原爆被害者協議会(愛称:しらさぎ会)を再発足させようと動いて会は1973年から活動を本格再開させた。日本原水爆被害者団体協議会事務局次長、埼玉県原爆被害者協議会事務局次長。1924年12月10日ノーベル平和賞授賞式に日本原水爆被害者団体協議会代表団の一員として参加。
第1部は「長崎原爆を体験して」 行田市民大学1期生の金井義介さんが作製したビデオ上映
第2部は「日本原水爆被害者団体協議会にノーベル平和賞」授賞式 ノルウェー・オスロ会場からのノーカットTV放送版上映
第3部は「ノルウェー・オスロ ノーベル平和賞授賞式に出席」 授賞式に臨んだ濱中紀子さんが撮った写真とお話
受賞記念に配布された号外、宿泊ホテルの様子、受賞を祝う街路の飾り付け(折り鶴)、関係者各位の紹介を興味深く拝聴しました。
第4部は質問と応答
質問に丁寧に説明する姿が印象的でした。
広報交流委員会 田島