命の水 地域の水 歴史の水 行田市民大学同総会講習会

2022年10月20日の行田市民大学講習会を受講し、「水」についての講義を伺いました。企画研修委員長田口修氏の言葉を借りると、「水」は「命の水。地域の水。歴史の水。」であることがよくわかりました。江戸時代の治水から現代の治水まで、たくさんの人々の苦難と努力の末に、ここにいつものように「水」が存在することのありがたさを感じました。

第1部の講義は、見沼用水土地改良区管理部長 羽鳥修弘氏

見沼用水土地改良区管理部長 羽鳥修弘氏

演題は「世界かんがい施設遺産『見沼代用水』」

令和元年9月4日 見沼代用水が「世界かんがい施設遺産」に登録されたことを初めて知りました。認定機関:ICID(国際かんがい排水委員会)埼玉県内初の世界かんがい遺産です。

見沼代用水

武蔵の国の大改造として、伊奈一族が江戸時代の利根川の東遷、荒川の西遷を行ったことの理由は、洪水対策・新田開発・水上交通網の確立・東北諸藩に対する備えのためでした。大自然そのものである「川」の流れを「人」の手によって変えていくことは、想像を絶する難作業だったことでしょう。

見沼代用水の前身である「見沼溜井」は伊奈忠治により誕生し、この方法を「関東流の水田開発」というそうです。あの将軍吉宗の時代の享保の改革で財政再建のための新田開発が行われ、関東流が限界だったので、井澤弥惣兵衛為永(いざわ やそべえためなが)が紀州流の新田開発を行いました。私のふるさと甲斐の国の甲州流(信玄堤など)に影響を受けた関東流が紀州流に代わりました。紀州流技術の結集によって見沼代用水が誕生(1728年)します。

利根川からの取水は元圦(もといり)=取水施設。今も利根大堰の近くに見沼元圦(もといり)公園があります。行田市荒木地区で星川と合流し、菖蒲町へで分岐。

 

柴山伏越(ふせこしし)瓦葺伏越などの伏越は河川を横断する逆サイフォン構造のこと。くぐって立体化する。

見沼通船堀では閘門(こうもん)式運河というパナマ運河と同じ方式の運河を、パナマ運河より180余年も前の享保16年(1731年)に開通させた。

見沼通船堀

 

これを聞いて、江戸時代の人々の能力と努力と技術に驚嘆しました。

最後に羽鳥氏から、「見沼代用水は300年の歴史をもつ「歴史の水」。今後協働で見沼代用水を守り、未来へ引き継ぎましょう。」と力強いコメントをいただきました。

 

第2部の講義は、独立行政法人 水資源機構利根導水総合事業所副所長 齊藤靖氏

演題は「県都への取水口と武蔵水路の開削と役割」

首都圏の大動脈・地域を守る武蔵水路

水資源機構は7つの水系(利根川、荒川、豊川、木曽川、淀川、吉野川、筑後川)において、水資源開発基本計画に基づきダムや水路、堰などの多くの施設を建設し、また、これらの管理を行っています。

利根導水路事業は昭和38年に着手、昭和43年に完成。大きな堰を3カ所作りました。利根導水路は、利根大堰や秋ヶ瀬取水堰、長大な水路施設によって、東京都・埼玉県・群馬県に農業用水・水道用水・工業用水・浄化用水を提供しています。

首都圏の慢性的な渇水の解消として、昭和30年代、新たな水源を利根川に求めました。東京砂漠と言われていました。最初の東京オリンピック前のことです。

利根大堰ができるまでの数々の困難を乗り越え、利根大堰完成後の昭和43年4月から、農業用水・都市用水等の本格的な取水を開始しました。

利根大堰 ウィキペディアより

あの時は東京の工事(高速道路など)だけではなく、水を求めて関東平野で工事が行われていたとは、オリンピックを学校の図書館のテレビで見ていただけの私は、何も知りませんでした。

 

武蔵水路は、昭和38年に着手、昭和43年に完成しました。導水のみの施設でしたが、耐震性の不足や施設の老朽化。通水能力の低下などあった上に、治水機能(内水排除)の強化が求められました。

武蔵水路改築事業は安定通水機能の回復、治水機能の確保・強化、荒川水系の水質改善を目的に始まりました。

武蔵水路改築事業「内水排除の強化」について
内水排除は星川、野通川、忍川及び元荒川の流域から出水を取込、最大50m/sを荒川に排水する。
操作は、水機構にて一元的に実施、遠隔操作による迅速化。

 

行田市若小玉を流れる改修後の武蔵水路        ウィキペディアより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネットで調べたところ、平成21年度から平成27年度まで7年をかけて、全面的な改築・再構築が行われたとのこと。齊藤氏の説明により、水路を二つに分け、片方に水を通しながら、片方で工事を行ったとのこと。土木学会から表彰されたほどの工事だったことを知り、いつまで工事をするのかなどと思いながら、武蔵水路脇の道路を通っていた自分を恥じました。

平成29年の台風21号のときは佐間水門から武蔵水路へ内水を取り込んだ結果、ピークから1.24m水位を下げたとのこと。この間の台風19号でも荒川が氾濫危険水位でなくなったあと内水排除を開始したことなどなど、水を守る人々によって私たちは守られているのだなあと強く感じました。

同窓会講演会で講義する齋藤氏

今回の講演会で、水に関するいろいろな情報と水の大切さと未来の人々に水をつないでいくことの重要性を教えていただきました。

企画・運営していただきましたみなさまにお礼申し上げます。

 

 

 

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