わくわく歴史ウオーク 男4人両国界隈を歩く 2025.5.14

参加者4名       2025.5.14

残念なことに、女性陣の参加は無く、男4名での散策になりました。

華やかな女性がいなく、寂しいですが元気を出して行きましょう。

両国駅西口を出て、回向院方向へ。

歴代の相撲取りの像、手形が並んでいる通りへ。私が較べ観ても大きさが違う、でかい。

正面が回向院。

左右にビルが建ち、前と景色が変わった。

門をくぐり中へ。

最初に「力塚」の碑、元々は勧進相撲のあった場所。

続いて鼠小僧の墓。賭け事にご利益があると言うことで前にある、欠け石を削り身に着けておくと、当たるとの迷信でツルツルに。

 

:回向院の歴史

明暦の大火(振り袖火事)により江戸の外堀以内のほぼ全域、江戸城天守閣、各大名屋敷、江戸市街地の大半を焼失し、その後江戸城天守は再建されなかった。

明暦の大火を契機に江戸の都市計画が行われ、御三家・大名屋敷・武家屋敷・寺社が江戸場外に移転した。

また、防災への取り組みとして火徐地や延焼の遮断として広小路が設置され、土蔵造りや瓦屋根が推奨された。

回向院には、多くの方々が埋葬された。

諸説ある火元

  • 本妙寺失火説
  • 幕府放火説
  • 本妙寺火元引き受け説  など

この火災により牢屋奉行石出帯刀により、伝馬町牢屋敷の囚人300人が解き放され、後日全員が戻ってきた。

世界三大火災

ローマ大火、ロンドン大火、江戸明暦の大火

火災には十分気を付けましょう。

回向院の裏木戸から、忠臣蔵でお馴染みの本所松坂町 吉良上野介(きらこうずけのすけ)屋敷跡へ

映画、テレビなどでよく観る荘厳な大屋敷を想像するけれど、街角にへばりついた本所松坂町公園は、昔の面影はなく吉良上野介の座像があるばかりです。当時の吉良邸は2500坪・東西130m南北60mの広大な土地に屋敷が建っていました。現在は30坪の敷地です。

吉良邸をとり囲む高家の格式をしめす「なまこ壁」と黒塗りの門が、当時の模様を偲ばせています。

因みに、赤穂浪士討ち入りの日にちは、元禄15年(1702年)

12月14日で、赤穂側47名での討ち入りでした。

☆高家とは、江戸城内における一切の典礼を司どる役目のこと。

浮世絵師國政の十八か条申し開きの図(大石内蔵助:市川団十郎、松平美濃守:中村芝雀、赤垣源蔵:尾上菊五郎)=寺田家所有

先ほどの回向院裏木戸へ

途中、相撲写真資料館へ立ち寄る。

次は江戸東京博物館へ行くも、休館。残念!

隣の両国国技館前をぶらり。本日5月場所の取り組み中なので、見物客で賑わっていた。のぼり旗がずらり!

♪♪♪ やぐら太鼓が墨田の川にドンと響けば土俵の上で男同士の血潮がたぎる・・・・・

江戸東京博物館が休みなので、旧安田庭園へ

都会の中の広大な敷地に緑がいっぱい。安田財閥の権威がうかがえる庭園を一周。

お腹もすいたので、食事処へ。

まずは、生ビールで乾杯。うま~い♪♪

めいめいに、お酒・食事をたのみご満悦。

最後に、すみだ北斎美術館へ北斎の傑作を見に行こう⇒GO

遠回りしてやっと北斎美術館へ到着。

4階までの絵画を見て回り、疲れた~~

北斎さすがと思いきや、全てレプリカ。1~2点は本物があっても良かったのでは?

神奈川沖浪裏の絵

男4人、本日一日ご苦労様でした。

コンビニで、ビールの立ち飲み…帰路に就く

記:5期寺田、写真・田村