日光例幣使街道 太田から足利八木宿を経て佐野天明宿へ
本日6月7日梅雨入り発表がありましたが、何とか天気も持ちそうな雰囲気で暑くもなく丁度いいとのことでグループで歴史散策にでかけることになりました。グループメンバー9名全員参加でのグループ活動は久しぶりです。車2台に分乗し9:40頃に出発。最初の目的地太田市のスバル本社工場の前を通り、意外と車の通行が多い中やっとの駐車で太田の追分道しるべに到着。
日光例幣使街道と古河道との分岐点にあり、道しるべには「左 日光道 やき さの駅 右 たてはやし」 と石柱に刻んであり、歴史を感じさせる。
隣に住んでいる、管理している奥さんがでてきて、色々説明をしてくれた。高崎市の倉賀野宿例幣使道追分から4宿目、太田宿から歩いて2kmの所にあります。
次は、八木宿。 ここは八木節の発祥の地。脇の門柱には、栃木県足利郡御厨(みくりや)町役場と表札が書いてありました。日光例幣使街道八木宿と最近できた石柱と、かなり古い木製看板にうっすらと八木宿の歴史が書いてあり、往時の繁栄をうかがわせました。
八木節会館は本日閉館のところ、近くの某高校の男女生徒30名ほどが来館しており、特別に入館させてもらいました。ちょうど、八木節の講演と演技実演が始まるところで見学に参加しました。
八木節の実演が始まりましたが、演技者は素晴らしい声量で、八木節を歌い始め太鼓、鐘、鼓の伴奏で益々盛り上がりました。高校生も演技に加わり大はしゃぎで八木節を踊り始め今の子供は臆さないで積極的だなと感心しました。
二階が資料館になっており、初代堀込源太から四代までの写真、伴奏道具などの展示があり、受け継いできた過去の歴史が伺えました。
その後、福居駅前にあるトチセン(旧足利織物)「国登録有形文化財」の赤レンガ倉庫をぐるりと一周、剥がれたレンガの何とも言えないレトロな趣に、絵の題材にしたい雰囲気を醸し出していました。素晴らしい!
そこを後にして、梁田宿の途中にある足利市寺岡にある日光例幣使街道道しるべを見学。先に見学者が一人いて、関心の深さが伺える場所です。
“道標は二つあり、一つは正面に「佐野道」右側面に「足利道」左側面に「太田道」とあり、裏面に「元文五年」と刻まれている。二つ目の道標は、正面に「道祖神」「日光道」「佐野道」右側面に「善光寺道」「太田道」「館林道」、左側面に「江戸道」「館林道」「建主山本兵蔵」、裏面に寛政三年とある。また各面に「東西南北」と刻まれているが、上の石と下の石が、位置的に狂っているのでは(後から上下をくっ付けた?)ないのではと思わせる。日光例幣使街道の近世の資料は少なく宿駅、交通路を伝えるものとして大変貴重である。“と案内板に書いてありました。
最後に佐野天明宿に行く。
お腹が空いたので、佐野ラーメンを食べようと言うことになり市内(JR佐野駅近辺、厄除け大師の近く)を、車でぐるぐると回ってみたがラーメン屋さんが無いので、厄除け大師の遠くの駐車場に車を置いて、歩いて探してみました。ちょうど厄除け大師の真ん前に、大師庵というラーメン屋がありそこに入りました。
人気の厄除けラーメンがいいと全員がそれを注文、出てきたラーメンを見ると、お腐に厄除けの焼き印があり、具だくさんで値段と見合う満足度で素晴らしかった。(私は、ダイエット中なので麺を少し残した。・・・女将さんごめんなさい)
満腹になった後、佐野厄除け大師にお参りしたが、お参りの後でラーメンを食べるのが正式な食べ方とのこと、失礼致しました。
天明宿の本陣跡を見学して帰路につく(本陣跡が見つからず:群馬銀行あたりをうろつく)。
本日はお疲れ様でした。