日光街道 幸手宿~栗橋宿散策 H29.9.6(水)

平成29年9月6日 朝から小雨交じりの中、グループ員7名で日光街道埼玉六宿の内の幸手宿、栗橋宿の2宿の散策に車2台に分乗して出発しました。今日は、午後からは曇り空になる様なので、散歩がてらの街道散策には丁度いい天気です。

始めに幸手市役所の観光課に案内パンフレット及び散策ポイントを聞きに立ち寄りました。すごく丁寧な説明に感謝しながら目的地駐車場までたどり着きました。

いよいよ、徒歩にて幸手市役所で戴いた埼玉六宿の冊子と日光街道宿場めぐり(幸手宿)の案内書を片手にさっそうと高札場跡から幸手一里塚(約2km)目指して出発です。

しかし、行けども行けども目的地にたどり着けません。町行く人の数人に聞いても良くわかりません。途中、道路に放置してあった犬のウンチを踏んでしまうやらのトラブルもあり、約1時間以上も時間ロスしてしまい、とんだ弥次喜多道中記になってしまいました。

目的地に着かないまま、地図上にある関薬局で色々聞いたところ、ここは支店なので本店は500m先の旧日光街道にありますとの答え、12時を大きく回ってしまいお腹も減っていましたので、目的地に着かないまま幸手宿に近い中三丁目に着いたので、途中のそば屋さんで昼食をとりました。グループ員の皆さんは、たくさん歩いて大変だったと思いますが、これも町歩きウォーキングと思えば楽しい。

幸手宿まちなみマップ

大村庵での昼食

やっと辿り着いた旧の日光街道は、永文商店という酒屋さんでした。壁に大きな松尾芭蕉の壁画が描いてあり、時代を感じました。永文商店の創業は明治36年。

左に曲がって、幸手駅入り口に向かい高札場跡の岸本家(有形文化財)を観た後、明治天皇行在所跡を見学、幸手駅に向かい道標を目指して進んで行きました。

岸本家は、江戸時代末期の住宅である。醤油醸造業として繁栄していた店舗兼住居であったものだが、国の有形文化財となっている。現在は、2011年11月「上庄かふぇ」としてオ-プン。

明治天皇行在所跡
幸手市中一−十五−十
明治天皇 は、明治九年六月奥羽巡幸の際、十四年七月・同十月山形・秋田・北海道巡幸の際、二十九年十月近衛師団の演習天覧の際に幸手を通られ、明治九年には元本陣の知久家に、あとは右馬之助町の元名主であった中村家に宿泊しています。
この公園に、「明治大帝行在所御跡」と刻んだ記念碑、指定説明を記した説明板(台・屋根部分は復原したもの)、現在は効力を失っていますが、当時の史跡名勝天然記念物保存法による指定標識、の三点が移設され、保存されることになりました。

途中に神明神社 田螺(たにし)不動尊を見、改造中の幸手駅に到着しました。どこにも道標が有りませんので、ポリスボックスで聞きましたが、駅の全面改築中でまったく判りません。諦めて裏道を経由して旧日光街道に戻りましたが、本陣、問屋場などを通り過ごしてしてしまい見学できませんでした。踏んだり蹴ったりです。

この神明神社は1755年(宝暦5年)に伊勢皇大神宮の分霊を祀った神社であり1873年(明治6年)4月より旧幸手町の村社の一つとなっていた。境内に菅谷不動尊こと、通称田螺(たにし)不動尊が安置されている。たにしの描かれた絵馬を奉納すると眼病が治るというご利益があるとされる。

幸手駅入り口道路の風景

その後、荒宿の信号を越えやっと幸手一里塚に到着しました。何の面影もなく標識が建っているだけでした。

幸手一里塚:日本橋から12里(47km)の一里塚跡。街道の両脇に築れ、榎が植えられていた。

一里塚跡説明版

近くの正福寺の境内に、日光道中道標が整然と建っていた。往時の往来の多さをうかがえる場所であると思われました。

正福寺

義賑窮餓之碑は正福寺(しょうふくじ)の境内にあります。

天明3年(1783年)の浅間山の大噴火によって火山灰が厚く積もり、大飢饉が発生しました。翌4年春には飢え死にする人が増えたので、幸手宿の豪商21人が金銭・穀物を出し合い、幸手の民を助けました。このことが代官伊奈忠尊(いなただたか)に聞こえ、21人と里正(りせい)(名主)は陣屋に呼ばれ褒賞(ほうしょう)を受けました。この善行を讃え(たたえ)後世に伝えようとこの碑を建てました。

正福寺説明版

境内の一角には寛政12年(1800)の銘を持つ馬頭観音供養塔が残されている。この供養塔は日光街道の道標を兼ねていて、左側面には「左 日光道中」、右側面には「右 ごんげんどうがし(権現堂河岸)」と刻み込まれているの。元々は日光街道沿いに建てられていたものが、道路改修で境内に移されて来たものらしい。

正福寺から200mも行かないうちに駐車した場所にたどり着きつきました。幸手市役所の観光課の方が、なぜこの場所を駐車場として教えてくれたのかがわかり親切な対応に感激しました。

今回の散策は、時間切れで栗橋宿の散策はできませんでした。次回に!最後に行田市内の珈琲店でお茶しながら親睦を深めました。

皆さん大変お疲れ様でした。