秩父往還道と栃本関所を見学
2月9日に秩父往還道を通り栃本関所に行ってきました。
秩父往還道は、中山道熊谷宿がある石原村(現、熊谷市)を起点として荒川渓谷沿いを通り、秩父大宮(秩父市)のある秩父盆地を横断し、雁坂峠を越えて甲州に入り甲府に至る街道です。
栃本関所(とちもとせきしょ)は、武蔵国と甲斐国の間の雁坂峠を越して通じる秩父往還( 別称、甲州裏街道)にあった関所のひとつ。栃本関所廃止後、 その跡地は、「栃本関跡」として国の史跡に指定された。現在の埼玉県秩父市大滝村 栃本に相当する。
秩父市大滝(栃本集落)は埼玉県西部、荒川の最上流域で秩父山地に位置していて、秩父多摩国立公園内にある。
栃本集落
秩父往還道脇の石標
【栃本関所跡の説明板】
江戸幕府は、関東への「入り鉄砲」と関東からの「出女」を取り締まるため主要な街道に関所を設けた。栃本関は、中山道と甲州街道の間道である秩父往還の通行人を取り調べるため設けられたもので、その位置は信州路と甲州路の分岐点になっている。
そのはじまりは、戦国時代、甲斐の武田氏が秩父に進出したとき関所を置いて山中氏を任じたと伝えられるが、徳川氏の関東入国以後は天領となり、関東郡代伊奈忠次が慶長十九年(1614)大村氏を藩士に任じたという。以後、大村氏は幕末まで藩士の職を代々つとめた。
しかし、藩士1名のみでは警備が手薄であったため、寛永二十年(1643)、秩父川の旧大滝村麻生と甲州側の三富村川浦とに加番所を敷設して警固を厳重にした。従ってその後、栃本関を通行の者で秩父側から行く者は、まず麻生加番所で手形を示し印鑑を受けて栃本関に差し出すことに定められた。
関所の役宅は、文政元年(1818)と文政六年(1823)の2度にわたって焼失し、現在の主屋は幕末に建てられたもので、その後2階を建て増しするなど改造されたが、玄関や上段の間、および外部の木柵などには、関所の面影をよくとどめている。
埼玉県教育委員会 秩父市教育委員会
秩父往還道と栃本関所跡
雪が残る栃本関所跡
5期 田村(記)