近くにある小さな江戸③
【近くにある小さな江戸】の第三弾は旧利根川堰堤(えんてい)跡です。
加須市役所から真っすぐ北へ利根川沿いにある、加須未来館へ着く。プラネタリウムなどが有り、なぜか野菜、お米の直売を行っている不思議な施設である。
その土手の下、そこには小さな石碑が建っている。
それには旧利根川堰堤跡と刻まれている。案内板を見ると以下の事柄が記されていた。
『利根川は羽生市川俣で締切られたあと東へ流れ、大越地域と大利根地域の境で南下し、現在の古利根川筋を南に流れていた。
元和七年(1621)に関東郡代 伊奈忠治は、佐波から栗橋までの約8kmを12,6mの幅で北川辺村を大きく蛇行していた河川を直線で結び新たな河川として新川通を開削した。』
堰堤とは
「貯水・治水・砂防などの目的で、河川・渓谷を横切ってつくられる堤防、ダムのこと。」利根川の治水は東遷事業として羽生市川俣の締切から始まった。
東遷事業とは
水害からの江戸の防備、関東平野の開発、物資輸送のための舟運水路の整備を目的とした、利根川の流れを大幅に変える河川改修工事の事。
また、近年の研究では、忍藩の水害対策における土木工事の要素も強いとの研究結果も発表されている。
川俣の締切(羽生市)
文禄3年3月(1594)忍城主 松平忠吉は家臣の小笠原三郎左衛門に命じて、幹川を締切らせたのが世にいう利根川東遷事業の第一期工事である。 往古の利根川は、この地点で二つに分かれていた。幹川は南(会の川)へ、派川は東に流れていた。
石碑の背後には利根川が流れている。
石碑は羽生道の駅の敷地内にある。
勝願寺(鴻巣市)
利根川堰堤跡の案内板にある関東郡代伊奈忠次の三代にわたる墓石を見学する。勝願寺は浄土宗の壇林寺(仏教寺院における僧侶の養成機関・宗派の学問所)
また、伊奈町には忠次の住居跡がある。ただ複雑な土地みたいですね。
5期 寺田(記)