中山道 本庄宿から勝場一里塚跡へ
平成30年3月5日(月) 中山道宿場の中で一番人口と建物が多い宿場であった本庄宿をグループ員7名で散策しました。
当日は朝からどんより、午後から雨の予報。当初は電車利用を考えたのですが一里塚まで距離があるので自動車で行くことになりました。
まずは本庄市役所の観光協会へ:資料をもらって旧中山道へ
JR本庄駅を進み、銀行の角を右折して仲町郵便局(国の有形文化財)、諸井家住宅を見学。
諸井家住宅
明治13年に横浜の洋館を模して建築された住宅。コロニアル風のベランダ、白い菱組天井、色ガラスの窓など、ところどころに洋風の建築手法が散りばめられた、個性的な空間です。諸井家住宅に隣接して、国登録有形文化財の本庄仲町郵便局があります。タイル貼の壁が昭和モダンです。諸井家の主は代々、この郵便局の局長を務めてきました。【埼玉モダンたてもの-きまぐれ散歩 公式サイトから】
郵便局の中は大正ロマン風の雰囲気を醸し出していて 素敵~
仲町郵便局前の中山道反対側に店舗風の休憩所らしき場所があったので店の外でうろうろしていたら店番のおばちゃんが休んでいってとのお誘いがあり皆で休憩。
次は旧本庄商業銀行レンガ倉庫へ
隣の深谷市と同様に、本庄市にも旧中山道に沿って古い町家が点在する。その中でひときわ目に付くのが、赤煉瓦を使って建造された蔵や工場である。本庄市の名士である諸井家の諸井恒平は、日本煉瓦製造(隣の深谷市で明治20年に創業)の創設時からメンバーであり、後に取締役も務めている。これが本庄市に赤煉瓦の建築物が多いことの要因の一つだろう。【ホームページ 本庄市の洋館より】
四つ角を右折、正面の安養院(本庄七福神:毘沙門天)へ立ち寄る。大きなお寺で格式がありそう。山門の仁王さま相当古そうで、こちらを睨んでいました。
いよいよ本陣跡の田村家本陣正門へ さすがに昔の面影が漂う。
裏が旧本庄警察署(歴史民俗資料館)
明治16年(1883)に本庄警察署として建設された本庄地域で最初の洋風建築。コリント式の柱や半円窓の設置などモダンな設計がされています。現在は市立歴史民俗資料館となっています。
資料館は月曜日なので休館、本庄市のマスコットキャラクター はにぽんのモデルになっている「笑う盾持人形埴輪:1400年前作成」が見られなくて残念。今度は月曜日の散策は避けようかな?
敷地内には人民控所や井戸館も現存
次は慈恩寺(本庄七福神:銭洗い弁天)。お金貯まるといいのにね~
真言宗智派菅霊山自在院慈恩寺。もとは栗崎村にありましたが、弘治2年(1556)本庄城築城の際に天神林(本庄城南東)に移されたと言われています。その後、寛文7年(1667)に現在の場所に移転しました。武州本庄七福神めぐりの一つで銭洗い弁財天が祭られています。
すぐ近くに本庄城主小笠原信嶺夫妻のお墓。きれいに並んで塚の上に眠っています(豊臣秀吉の関東攻略に参加し、恩賞で天正18年(1590)に徳川家康より本庄領1万石を賜り本庄城主となる)。
城主の墓の向かいが開善寺(本庄七福神:布袋尊)大きなお腹を出して座ってござる。
本庄駅から真っすぐ伸びた道を渡り、市役所の南東に大きな山門をもつ円心寺(本庄七福神:福禄寿)に到着。山門は、旧児玉郡一の見事さと言っても過言ではありません。
これで本庄七福神の内の四か所を回りました。多少のご利益はあるのかな~
食事の前に本庄城址から城山稲荷神社を見学。欅の見事な出で立ちと、雷に焼かれた惨劇は見る者を圧倒します。樹齢約400年、弘治2年(1556)本庄城主により献木されたと伝えられています。
この後、お腹空いたので昼食タイム。時間は、午後1時半過ぎ。
いよいよ本日の目的の一つである勅使河原の勝場の一里塚跡へ。現在の位置からかなり離れています。自動車で約10分群馬方面へ、神流川手前を左へ曲がり目的地を目指して行けども判らず。途中パトカーが停車していたので訪ねるも判らず。まさにその時、一時停止違反車を発見。サイレンを鳴らして一時停止違反車を追いかける時の速さたるや流石にプロですね~こわ~い。
どうしても目的の場所が判らないので、大光寺に寄り住職にお尋ねしたところ即座に教えて戴きました。住職の話によると、勝場はかっぱと呼ぶんだと教えていただき現地へ赴きました。教えてもらった通りに行ったのですが、何回か行ったり来たり。やっと一里塚跡へ辿り着きました。
な~んだ曲がって直ぐじゃないの。隣がすごいお屋敷でここのお家が何か関係しているのでは?神保原駅からの旧道で本来の中山道はこの道だと思いました。
折角、本庄まで来たのだから私の知っている児玉郡藤田村役場跡を見学して帰ろうと思い行って観ましたが、今は取り壊して消防の分団所になっていました。参考までに以前の役場の映像を記載します
これで本日の予定は終了。皆さんお疲れ様でした。4月はグループ全員でお花見を企画したいと思います。
5期生 寺田、田村(記)